未来の不安を恐れすぎないように
前回、過去の悪い記憶に感情的に反応するのはよくないから、そういう悪い記憶は、悪霊のように退散させてしまおう、という話を書きました。
そして、それは、未来の不安についても言える、と気づいたのですが
未来の不安については、ただ単に嫌だから考えないようにする、というのでは、逃げになってしまい、良くないですよね。
良くないのは、現存していない可能性に対して、あたかも今目の前にあるかのごとく、恐怖を感じて体が萎縮してしまうことであって
過去の反省をするのと同様、理性的に未来の可能性を分析することは、有益なことと思うわけです。
理性的に未来の可能性を分析する、というのは、未来の不安というのが、得体のしれない悪霊なのだとしたら、それの本体を暴く、みたいなことかもしれません。
よく昔話にあるじゃないですか、ものすごい強力な化け猫は、実は非業の死を遂げた主人の恨みを晴らそうとした可愛い飼い猫だった、みたいな。
恐怖におののいている目には、強力な妖怪に見えていても、その実体はごくごく些細な、解決可能な問題かもしれないですよね。
私がさいなまれたことのある、ひどい恐怖は、試験に対する恐怖でした。
受からないかもしれない、という可能性に異常に反応し、異常に恐怖心を抱き、勉強が手につかず、更に恐怖が増していく、そして更に勉強が手につかない…という…
今思えば滑稽なほどに、見事な悪循環に陥っていました。
「試験に落ちること」なんて、完全に、可能性の一つでしかなく、しかも、適正に準備すれば、かなりの高確率で解決可能な問題です。
でも、そんな風に理性的に考えることができず、ただただ、感情的になり、恐怖を感じ、動けなくなっていました。
こういった問題に対しては、試験に落ちることなんて、怖いから考えない、という逃げの発想ではなく、落ちることは一つの可能性として、そうならないためにすべきことは何か、と、出来る限り理性的に、可能なギリギリまでその対策をしっかり練ることで、妖怪化するのを防げたのではないかと思います。
何より、今自分が恐怖を感じているのは、その可能性そのものではなく、その可能性をもとに、自分が想像力で勝手に作った妖怪に対してなのだ、ということを、よくよく自覚すべきだったでしょう。
過去の思い出も、未来の不安も、せっかく人間が得た偉大な能力である想像力を、自分に不利に使ってしまっては、本当に損だと思います。
今自分が感じている悪い感情が、現存していない悪霊、妖怪に対してのものなのではないか、ということをよくよく確認し、なるべく嫌な感情に振り回されないようにしたいものです。
想像力は楽しいことに使いたいですね!
素晴らしい思い出とか、輝かしい未来とか。
せっかくの能力は、自分に都合のいいように使いましょう!