なるほど、そうか!

私が生きている中で見つけた、生活に役立つちょっとしたことをまとめてみました。

ミュシャの愛国心

そごう美術館で11/23〜12/25まで開催されている、ミュシャ展に行ってみた

 

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ぱる新宿(これについてはおいおい後の記事で説明したい)で1500円で購入したぐるっとパス(定価2200円。このチケット冊子についてもおいおい説明したいです)が勿体ないので、散歩ついでにふらっと立ち寄っただけで…

ミュシャ展だと知っていたらあまり興味がわかなかったかもしれません


それほどに、私はミュシャという作家について何も知りませんでした。

一応名前と、絵柄の雰囲気は知っていましたが。

アールヌーボーのパリを象徴するような、植物の蔓がクリクリしたキレイな絵を描く人、というイメージでした


アールヌーボー期のパリの作家、というイメージと違い、彼自身はチェコの田舎の出身でした。

どこの都市もそうであるように、自分の才能を信じ、一花咲かせようという若者は、都市に集まるのですね。

特にこの時期のパリは、「良き時代(ベルエポック)」と呼ばれた、活気あふれる時期で、世界中のアーティストたちが集まって、それはそれは華やかであったろうと思います


ミュシャは、このパリで、女優サラ・ベルナールに見出され、一気に時代の寵児となります。

数々の企業のポスターや商品のデザインなどを手がけ、富と名声を手にします


しかし、その後、彼は、パリを去り、故郷のチェコに戻って、チェコのために無償で切手や紙幣のデザインを請け負ったり、祖国愛に満ちた偉大な作品群「スラブ叙事詩」の制作に没頭したり、文字通り、祖国にすべてを捧げるような活動をしました。


その後、チェコに侵攻したナチスドイツ軍により、祖国愛に満ちた作品の制作が罪に問われ、そのときの取り調べがもとで、彼は亡くなったといいます。

しかも、彼が晩年にすべてを捧げて制作した「スラブ叙事詩」も、後に成立した共産党政府により黙殺され、長い間チェコの人々の目には届かなかったといいます。


改めて、独裁政権と、共産主義が、いかに文化を抹殺する類のものであるかを認識しますが…

何より、当時世界最先端、最高に輝いていたパリにおいて、アールヌーボーの担い手として最高に輝いていたはずのミュシャ

その栄華に酔うことなく、自国のために心を尽くしたことに、深い感銘を覚えました。

それこそ、危険を避けて、パリやニューヨークにとどまっていれば、安全で裕福な最期を迎えたはずです

しかしおそらく、彼は、すべてを承知の上で、故郷に留まり、尽くしたのだと思います


キレイなポスターとか描いた人でしょ?くらいの認識しかなかった自分を恥じたい…


こういう出会いがあるので、ぐるっとパスで、手当り次第に美術館、博物館めぐりを出来るのって、ほんと、意義深い!